2008年11月16日

不定期連載〜戦国紀行〜その1

しばらくやっていなかった事もあり少し見方が変わったのですが
これって一応戦国時代という時代背景のゲームなわけであり
数字ばかり追うってのもなにかもったいないなぁと思ったので
元々歴史好きということもあり、ゲームとリンクさせたうえで登場人物や
イベントの背景的なものを不定期に書いていこうと思います。

とりあえず第一回ということで私が仕官している上杉家及び当主の謙信公について

上杉 謙信
Nol08111601.jpg
自らを毘沙門天の化身と称したり天罰と信じて戦を行なう

短気であるなど奇抜で苛烈な一面がある一方でよく涙を流す

戦国大名らしからぬほど非常に繊細な面もあったとされる。

戦略家・戦術家としてだけではなく和歌に通じ、達筆でもあったようで
特に源氏物語を始めとする恋愛物を好んで読んでおり
上洛した際に開催した歌会でも見事な雅歌(恋歌)を読み参加者全員を驚かせたという。

女説もあるくらいのよくわからない天才肌なお方ですね。

あと酒好きなのは有名ですが一人で飲むのが特に好きだったようです。
辞世の句もお酒入ってるしw
「四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一盃の酒」

f3a9a40296a8574007842a457e049947.jpgfe80dc105da7cd1b7b89b4c045a7cb8c.jpg
「毘」の旗は「刀八毘沙門(とうはちびしゃもん)」と呼ばれる軍旗。
「龍」の旗は「懸り乱れ龍」と呼ばれ、総攻撃の際に本営に掲げられたという軍旗です。
クラリス殿下さんのブログの名前もこれから取っていたようです。

伝承や伝説的な話もたくさん残されているように軍事や経済面だけでなく
人を引き付ける魅力のある天才だったようです。

一般的に軍事面での活躍が有名ですが経済面でも武田家とほぼ同じくらいの
経済力を交易などで得ていたと記録に残っています。
ただ越後国人たちの離反には度々悩まされているようで謙信も信玄同様
国人衆の連合盟主という地位から脱することができなかったようですね。

きりがないのでここでは詳しく書かないですが信onで登場する上杉家の武将の
ほとんどが反乱や敵対行為を起こしてたりします。
死に方もひどいのが多いですね^^;

例)柿崎→織田信長に内通した疑いで謀殺
  宇佐美、長尾→舟遊び中に水死(これも諸説あり)
Nol08111602.jpgNol08111603.jpgNol08111604.jpg
他にも一向一揆には相当悩まされたみたいです。(謙信は仏を信仰していたが、信仰していたのは真言宗)
生前に前もって後継者を決定しなかったとされ死後、御館の乱が勃発して
上杉家は一気に衰退してますね。
豊臣家にいち早く協力したことで大大名としての地位は維持できたのだけど
もし本能寺の変が起きなかったら上杉家は滅亡していたと思います。

その後の上杉家
御館の乱に勝利した景勝は羽柴秀吉の支援を受け再びかなりの所領を得ることができたが
秀吉死後の関が原の戦いで西軍についた為最終的に出羽米沢30万石藩主となりました。

江戸時代中期に上杉謙信の養子となった上杉景勝の血筋が断絶し、
忠臣蔵の悪役的存在になってしまった吉良上野介義央の息子・義綱の子孫が
跡を継いでいます。

初代:上杉謙信

2代目:景勝
謙信の姉の子

3代目:定勝
景勝の嫡男

4代目:綱勝
定勝の次男

5代目:綱憲
吉良上野介の息子。母親は定勝の娘

9代目:治憲(鷹山)
中興の祖と言われる名君。秋月種美の次男、母は綱憲の娘

17代(現当主):邦憲氏
日本を代表する宇宙工学の専門家です。
ハレーすい星探査機「さきがけ」や米ソに続いて三番目の月衛星となった「ひでん」の打ち上げを
担当し惑星探査機「はやぶさ」にも関わった方です。

謙信公については伝説的な人物でもあり様々な逸話などが残されているので
興味がある方は調べてみてはいかがでしょうか
posted by ぬお at 03:44| 福岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/109732283

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。